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ターミナル期の父とのバージンロード

執筆者の写真: PDNJapanPDNJapan

更新日:2023年10月8日


私は3兄妹の真ん中で、見た目も性格も父にそっくりと幼い頃から言われ、

それがあまり嬉しくないずっと反抗期な子でした(笑)


当時私は1年間の留学から帰国し、地元の医療センターで働いていました。縁あってその時研修医だった主人と出会い、2011年7月に地元で結婚式を挙げました。結婚式を挙げる1年と少し前、母から「父が胃の調子が悪いので病院へ行ったら大きな病院で検査するように言われた」と連絡がありました。

 いつも反抗的な私と父はソリが合わず会えば喧嘩ばかり、そんな父が私の働いている医療センターで検査を受けたいと言ったときはビックリ。渋々了承し、(身内が受診はなんだか恥ずかしいですよね)検査を受けました。

検査の結果は「膵臓癌ステージ3」

 あまりにショックで消化器外科部長のICの話はほとんど覚えていません。医療従事者ではない両親はどこか楽観的に話を聞いていたのは覚えています。

 その後、先生たちのご尽力の甲斐あって手術は成功。抗がん剤治療が始まりました。

ちょうどその頃、結婚が決まり私は主人について東京へ引っ越しました。父は抗がん剤治療中とは思えないほど元気で私たちの引越しの手伝いを張り切ってしてくれました。

私たちが東京へ引っ越したのは2011年の3月末。東日本大震災10日後でした。

慣れない土地で、慣れない生活、新しい職場、しかもまだまだ続く余震や計画停電・・・

自分の目の前の生活で精一杯で父の闘病の事まで気にかける余裕はありませんでした。

時々母と電話で話していて、母から聞く父の様子は最初の頃は「自分で運転して病院に行っている」「変わりない」と言っていたのが、GWを過ぎた辺りから「抗がん剤の副作用が辛そう」「自分の運伝で病院へ行くことができなくなった」「最近食欲が減ってきた」「ベットで過ごす時間が多くなってきた」と段々と悪くなってきている感じでした。

結婚式は地元で挙げるので結婚式準備で何回も帰省できない為、プランナーさんとは引越し前にしっかりミーティングして本来なら数ヶ月かけて決める事を1ヶ月弱でほとんど決めてから東京へ行きました。他の細かいことはメールでやり取りしました。

6月上旬、結婚式1ヶ月前にプランナーさんと最終確認のため久しぶりに実家に帰省しました。

 2ヶ月半ぶりに会う父は黄疸で全身黄色、腹水でふくれあがったお腹、手足は鶏のように細く自宅の寝室のベットに横たわっていました。3月に引越しを手伝ってくれた父の面影はありませんでした。

 こんな短期間でここまで衰弱しているとは思わず、ショックでした。と同時に自宅で療養するのは限界だと思いすぐに病院に連絡し、緊急入院となりました。

(この時はこれが最善の選択だと思って行動しましたが、本当は父はずっと家にいたかったのかもしれないと考えると、自分の行動が正しかったのか今でも考えます。)

 その後父の病状は平行線で、良くも悪くもありませんでした。

結婚式前日、家族全員が揃うタイミングで父は外泊をして家に帰ってきました。主治医からは最後の外泊になる可能性もあると言われました。久しぶりの家族団欒を満喫し、結婚式当日は父のお友達の理髪店へ散髪にも行きました(なんで花嫁なのにこんなに早く起こされて理髪店へ連れて行かないと行けないのよ〜と当時は思いました笑)

 準備万端で家族揃って結婚式場へ行きました。

結婚式場にはあらかじめ父の状態を話していました。プランナーさんは不安そうでしたが参列者のほとんどが医療従事者で父の入院している病院のスタッフが多い事を伝えると「それなら安心ですね。大丈夫です。こちらも色々とお手伝いします。」と言ってくださいました。結婚式場では車椅子と父が休めるように別室を準備していただき、スタッフの方が一人付き添ってくれて、万が一の時はすぐ家族に知らせる体制をお願いしました。

きっと父ほどの状態が悪い人が参列される事はあまりないのだと思います。それなのに、色受け入れていただき、色々とお手伝いいただいた結婚式場には今でも感謝しています。

 当初の予定はバージンロードを歩いた後、別室で休憩してタイミングを見ながら披露宴に参加する。というものでした。当日のリハーサルでバージンロードの長さをみた父がNGを出して、急遽兄と歩いて、最後少しだけ父と歩くことになりました。(ここの式場はバージンロードが長くて映えるのが売りなのです!)

 挙式本番、扉が開いて、兄と歩き出した目の前には母に支えられて父が待っていました。

本当なら立つもの辛い状態だったのにも関わらず、私と兄が近づくと母の手を離して一人で立っていました。

ほんの数歩でしたが、私は父とバージンロードを一緒に歩くことができました。

結婚式は盛り上がり、予定時間より1時間近く長引きましたが、それなのに父はずっと楽しそうに笑顔でした。

結婚式から10日後に父は息を引き取りました。


後から病棟で父の担当だった同期や後輩から聞いた話ですが、痛みが強く意識が朦朧としながらも父はバージンロードを歩くために、病棟の廊下を歩行練習していたそうです。

また、意識がなくなるまでずっと結婚式の写真を見せて自慢していたそうです。

 主治医の先生からは、『正直結婚式に参列できるか厳しい状況だったけど、お父さんが結婚式に出たいという気持ちが大きかったんだと思うよ。それに、何かあっても参列者がうちのスタッフばっかりだからそこはお父さんも安心だったんじゃないかな。』と言われました。

 私は、結婚式のために父に色々と無理をさせてしまっていたのではないかと、後悔する事がないといえば嘘になります。しかし、父の葬儀の時にみなさんが「(結婚式での)父の幸せそうな顔が忘れなれない」「結婚式で会えてよかった。そうじゃないと最後が葬式になるところだった(遠方の親戚)」「本当に結婚式をして良かったね」と次々に言われて、あの時あのタイミングで結婚式をして良かったと思っています。


 私の場合は自分や主人を含めて参列者のほとんどが医療従事でしたが、そのような状況は珍しいと思います。結婚式は、人生の最大のイベント!

身体的病状的理由で参列したくてもできない人、呼びたくても呼べない人がいるかもしれません。そんな人たちに後悔はして欲しくないと私は思います。

PDNJapanが行っている結婚式の看護師の付き添いサービスがもっと広がれば、選択肢も増えさらに参列できる方が増えると思います。

人生は1度きりです。後悔しないよう全ての人が最高な結婚式が迎えられますように。


看護師

福永 美栄子



 

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